少しだけ、記憶のほうへ戻ってみる

自分の安心できる境界を越えて始まった、日本での6年間。限られた予算と厳しい選択の連続の中で、今の私の芯のようなものが少しずつ形になっていきました。

後ろには家族、前には運命

2019年の秋、私はパンデミックで世界が閉じていく直前、BrSE B18 コース最後の便でベトナムを発ちました。あの夜、手にしていた荷物の中には、4か月間の学びだけではなく、妻の涙や母の寂しそうな表情も一緒に入っていたように思います。

新しい旅立ちのためにベトナムを離れた瞬間

それは家族全体の重みを背負った決断でした。飛行機が離陸したとき、私はもう引き返せない地点を越えたのだと感じました。当時の日本は、未知であり、チャンスであり、そして人生で最も大きな代償を伴う選択でもありました。

「チンチン」という、変化のリズム

2019年10月5日の未明、私は成田に着きました。

日本での新しい暮らしへ向かう最初の電車

最初に家へ向かったあの電車の感覚を、私は今でも忘れません。よく晴れた日で、車内も混んではいませんでした。それでも停車や発車のたびに聞こえる「チンチン」という音だけが、妙に心に残りました。それは単なる公共交通の音ではなく、新しい生活が始まる拍子のように感じられたのです。

小さな木の家と、独り立ちのはじまり

私たちは小さな木の家にたどり着きました。引っ越し初日にうっかり指を切ったとき、その小さな痛みを見せる相手も、こぼす相手もいないことにふと気づきました。そんな小さな出来事が、「ここからは本当に自分で立つのだ」と静かに教えてくれました。

新しい生活で最初にぶつかった現実

節度が形づくったもの

私にとって最も大きな変化は、日本語や環境の違いそのものではありませんでした。自分をどう管理するかを学んだことでした。

9か月間の生活費を限られた予算でやりくりし、さらに借入の重さも抱えていた私は、最初の頃に抱いていた「もっと見たい、もっと動きたい」という欲求に何度も「まだだ」と言わなければなりませんでした。もともと私はお金に対して慎重なほうでしたが、その厳しさの中でひとつの感覚が育ちました。今日の楽しみを少し抑えることが、明日への投資になるという感覚です。

遠くまで進むために慎重に暮らした日々

初めてスーパーへ行った夜、見慣れない商品が並ぶ中で、私はできるだけ簡素な夕食を選びました。机も椅子もなく、私たちは寮のリビングの木の床に座って食べました。あの最初の食事は、空腹を満たすだけのものではありませんでした。「この決断を最後までやり切る」という静かな誓いそのものだったと思います。

簡素でも決意の詰まった最初の夕食

6年6か月、そして変わらず残った価値

あの木の床の夜から、もう6年以上が過ぎました。

今の私は当時とは違う場所に立っています。それでも、最初の日々にあった感覚は今も方位磁針のように残っています。2019年に「出る」と決めたことは、私にひとつのことを教えました。人の芯は、満たされた環境で育つのではなく、制約の中で鍛えられるということです。もともと持っていた慎重さや規律に、日本で磨かれた胆力が重なって、ここまでの10年の私を形づくってきました。

この旅は、働くために国外へ出たというだけではありません。もっと内側へ向かい、よりしなやかで、より規律があり、より成熟した自分を見つけるための道のりでもありました。

景色は変わっても価値観は残り続けている今の一枚

Kanagawa, Tokyo - 2026年4月29日